2021年3月の写真です。


神奈川県の燈明堂海岸(とうみょうどうかいがん)へ行ってきました。
燈明台入口 ブログ用

場所はココ 神奈川県横須賀市西浦賀6丁目1


●燈明堂とその周辺について
 1590年徳川家康の江戸城に入城に伴い、江戸を中心とした水運は急速に発展していき、江戸周辺に港ができるようになりました。浦賀水道に面した入り江であった浦賀も、港として大きく発展し、船が安全に運行できるように整備する必要が高まっていました。

 そこで、江戸幕府は石川六エ門重勝、能勢小十郎頼隆という人物らに浦賀港入口の岬に和式灯台の建設を命じ、1648年に燈明堂が完成しました。

 
 灯台の構造について現地の看板によると、「この灯台は石垣を土台に、上に二階建ての建物がありました。階下は番人小屋で、階上は四方を紙張障子としてその上に金網をめぐらせてありました。その中には直径34.4㎝、深さ12.2㎝の銅製の大きな灯明皿が置かれ、一晩に灯心百筋と菜種油1升が灯され、その光は7.2㎞にも達したといいます。」とありました。灯台は篝火ではなく、堂内で菜種油を燃やしていたため、夜間は灯台守が常駐していたとのことです。

 この灯台の背後の山には、外国船を砲撃するための平根山台場が置かれ、幕末には海岸沿いに海に突き出た場所に、千代ケ崎台場が置かれました。また、灯台付近には浦賀奉行所の刑場があり、首切場と呼ばれていたそうです。


 燈明堂は度々、台風や暴風、津波などにより大きなダメージを受けていましたが、そのたびに早急に修理や仮設灯台を設置したりすることで、灯が絶えないようにしていました。しかし、明治時代に入った1869年、横須賀の三浦半島に日本初の西洋式灯台である、観音埼灯台(かんのんざきとうだい)が建設されたことのより、廃止され約220年の役割を終えました。

 1895年までは灯台の建物は残っていたそうですが、その後は崩壊し、土台の石垣を残すのみとなりました。大正時代の1924年には国の史跡に仮指定されましたが、太平洋戦争後に解除されました。しかし、1968年に横須賀市の史跡に指定、1987年にはその周辺の発掘調査が行われ、翌年には遊歩道の整備、さらにその翌年には燈明台の復元工事が始まり、平成に入った1989年に公園として今日の形となりました。


海岸への道中。
燈明堂至る道 ブログ用


入口
燈明台入口 ブログ用


供養塔(?)のようなもの石碑。処刑された人のためのものかな?
燈明堂石碑 ブログ用


灯台の復元 建物内には入れません
燈明堂復元2 ブログ用


別角度から。思っていたよりもこじんまりとした感じでした。
燈明堂復元 ブログ用


岩場
燈明堂海 ブログ用


燈明堂海ブログ用6


燈明堂海8 ブログ用


砂浜
燈明堂海3 ブログ用


燈明堂砂浜 ブログ用


燈明堂海5 ブログ用


燈明堂海9 ブログ用


燈明堂海 ブログ用5



●まとめ 感想
 緊急事態宣言下なのか人がほとんどいませんでした。海では大きな船やヨット、クルーザーなどがひっきりなしに走っていました。今も昔もこの場所では船の往来が盛んなようですね。

 海岸は貝殻が混じった白い砂浜でとても奇麗でした。海底も白い砂なので日の当たる場所では海がコバルトブルーに見え、これもまた奇麗でした。浅瀬なので、磯遊びやシュノーケリングにもってこいの海なんだそうです。※アワビやナマコなどを勝手に採ったりした場合は、懲役や罰金をさせられるので、絶対にしないように。

 

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次回は、2021年3月の投稿結果です。