2020年3月の写真です。


 東京八王子市の産千代稲荷神社(うぶちよいなりじんじゃ)に行ってきました。
場所はココ 東京都八王子市小門町82



●大久保長安と産千代稲荷神社について
 この神社は大久保長安(おおくぼ ながやす/ちょうあん)の陣屋内に建てられた神社です。大久保長安という人物は戦国時代の1545年、畿内の猿楽師であった大蔵家に生まれました。その後、甲斐国(かいのくに 今の山梨県)の武田信玄お抱えの猿楽師となり、後に家臣として取り立てられ、武田領内の鉱山開発や税務を任されていました。この際、姓を土屋に改めます。

 武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、武田氏滅亡直後で混乱していた甲斐国の内政を建て直すべく、堤防の復旧、金山採掘、新田開発などに尽力し、わずか数年で甲斐国を建て直したといいます。また、この際、姓を大久保に改めます。

 1590年、豊臣秀吉が天下を統一した後、家康は関東に移ることになりますが、この際、長安も家康に同行し、土地台帳の作成や、関東代官頭として領地の管理を任されました。そして家康から武蔵国(むさしのくに 今の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)八王子の9万石を賜り、現在の東京都八王子市に陣屋を置きました。そしてその陣屋の西南方向に五穀豊穣、殖産繁栄、陣屋守護の目的で、倉稲魂命(うかのみたまのかみ)を祀りこの産千代稲荷神社が建てられました。名前の由来はご利益が千代に続くように、という願いを込めてつけられたと伝えられています。当時このあたりは木々がうっそうとしていたため、稲荷森とも呼ばれていたそうです。

 長安はその後、八王子の警備のため、八王子千人同心という組織を置いたり、関ケ原の合戦時には、家康の息子である徳川秀忠が率いる軍の補給役を務め、江戸幕府開闢後は島根県の石見銀山、新潟県の佐渡金山、兵庫県の生野銀山などの徳川氏直轄領の管理や、関東の交通網や財政、町の整備などを任され、自身の9万石の領地に加え、徳川氏直轄領150万石の支配を任されるほどの大きな権力を持つようになりました。人々は長安のことを「天下の総代官」と称したとか。

 晩年は鉱山からの採掘量減少により家康からの寵愛を失い、様々な代官職を罷免され、1613年に病で無くなりました。しかし、長安の死後、生前の不正蓄財が発覚。これにより7人の息子たちは切腹、長安と関わりがあった諸大名たちも処罰されることとなりました。

 その後、この陣屋は解体されたのですが、この神社のある地はそのまま残し、現在は大久保石見守長安陣屋跡として八王子市の旧跡として指定されています。


 入り口の鳥居です。石でできた立派な造りです。
産千代稲荷神社 ブログ用


 手水舎です。
産千代稲荷神社 ブログ用2


 龍の口から水が出ています。
産千代稲荷神社 ブログ用4


 拝殿です。狛犬の代りに狐がいます。境内はそれほど広くなく、拝殿もこじんまりした感じです。1945年の空襲で焼失し、1954年に再建されました。
産千代稲荷神社 ブログ用「3


●まとめ 感想
 実はこの神社には以前一度訪れたことがあり、その際は大久保長安陣屋跡が目的で、神社に関してはとくに気にしていませんでした。また、今回訪れた際には工事の業者(?)らしき車が止まっていたので、あまりゆっくり見たり撮影することができませんでした。以前訪れた際に神社も撮影しておけば良かったと少し後悔しています


私のPIXTAページです。写真は購入もできます
写真素材 PIXTA


興味があれば


次回は、2020年3月の投稿結果です。