2019年12月の写真です。
前回紹介した、近藤助実と浄泉寺城に関連した神社です。
場所はココ 東京都八王子市館町1271
●御霊神社と鎌倉五郎景政について
この神社に祀られている鎌倉五郎景政という武士は、平安時代前期の桓武天皇(かんむてんのう)の子孫であるとされ、1056年~1064年の間に奥州地方(今の東北地方)で勃発した、前九年の役という戦に、当時陸奥守であった源頼義・義家に従い出陣しました。この戦いで、敵の大将である阿部貞任(あべさだとう)を討ち取りました。その後、義家の命により御霊神社のある周辺に館を構えることになりました。
1083年にまた東北地方で戦が勃発(後三年の役)すると、景政は再び義家に従い出陣しました。この戦いの際に、右目を矢で射貫かれてしまうも勇猛果敢に戦いました。仲間の武士が目に刺さった矢を引き抜いてやろうとしたのですが、「無礼者! 弓矢で死ぬのが武士の道だぞ!」と怒ったそうです。結局、景政はこの傷がもとで亡くなってしまったのですが、彼の勇猛さをたたえ、御霊谷戸という場所に神として祀られ、その場所は御霊大明神と呼ばれるようになりました。
景政が亡くなってから約500年後の戦国時代に入ると、この地は北条氏の家臣である近藤助実が館を構えていました。助実は御霊谷戸から社を浄泉寺城の近くに移しました。
江戸時代には11月15日に、篝火を焚く神事が行われていたそうです。この日は景政が前九年の役から凱旋した日で、当時の村人たちが景政の帰りを、篝火を焚いて歓迎したことに由来しているとのことですが、現在は行われておらず、8月に夏祭りがあるのみだそうです。
浄泉寺が管理していたそうですが、明治時代になると神仏分離政策により浄泉寺から分かれ、明神様と呼ばれていたそうです。その後、昭和と平成に数度の改装を行い、現在の形になったとのこと。
では実際に見ていきます。
看板です。柵の下が湯殿川(ゆどのがわ)という川です。周囲が川に囲まれているので、すぐには入れず、入り口にたどり着くまで結構時間がかかりました。
鳥居です。小さ目ながらも結構綺麗でした。
御神木です。2002年に社務所にあたる場所に生えていたものを伐採し、根を記念として祀っています。樹齢は200年ほど。何の木かは分かりませんでした。
改装時の記念碑
手を洗う、手水舎(てみいずや)です。
力石です。昔の人はこの石を持ちあげて、力を競ったそうです。右の小さい石が70kg 真ん中が130kg 左の大きな石が210kgだそうです。
拝殿です。派手さはないものの綺麗でした。
拝殿の左隣が神輿殿です。「祭り」と書かれた大きな団扇など、祭りに使うための道具を置いていました。ちなみに右となりに社務所がありました。
●まとめ 感想
周囲が川なので、たどり着くのが面倒ですが、御神木や力石などの面白い見どころがあり、看板の神社の由来解説も詳しく書かれていたので、見学しやすかったです。浄泉寺城見学の際はこちらにも訪れてみてはいかがでしょうか。
私のPIXTAページです。よろしければご覧ください。写真は購入もできます
興味があれば
次回は、出羽山砦を紹介します。
前回紹介した、近藤助実と浄泉寺城に関連した神社です。
場所はココ 東京都八王子市館町1271
●御霊神社と鎌倉五郎景政について
この神社に祀られている鎌倉五郎景政という武士は、平安時代前期の桓武天皇(かんむてんのう)の子孫であるとされ、1056年~1064年の間に奥州地方(今の東北地方)で勃発した、前九年の役という戦に、当時陸奥守であった源頼義・義家に従い出陣しました。この戦いで、敵の大将である阿部貞任(あべさだとう)を討ち取りました。その後、義家の命により御霊神社のある周辺に館を構えることになりました。
1083年にまた東北地方で戦が勃発(後三年の役)すると、景政は再び義家に従い出陣しました。この戦いの際に、右目を矢で射貫かれてしまうも勇猛果敢に戦いました。仲間の武士が目に刺さった矢を引き抜いてやろうとしたのですが、「無礼者! 弓矢で死ぬのが武士の道だぞ!」と怒ったそうです。結局、景政はこの傷がもとで亡くなってしまったのですが、彼の勇猛さをたたえ、御霊谷戸という場所に神として祀られ、その場所は御霊大明神と呼ばれるようになりました。
景政が亡くなってから約500年後の戦国時代に入ると、この地は北条氏の家臣である近藤助実が館を構えていました。助実は御霊谷戸から社を浄泉寺城の近くに移しました。
江戸時代には11月15日に、篝火を焚く神事が行われていたそうです。この日は景政が前九年の役から凱旋した日で、当時の村人たちが景政の帰りを、篝火を焚いて歓迎したことに由来しているとのことですが、現在は行われておらず、8月に夏祭りがあるのみだそうです。
浄泉寺が管理していたそうですが、明治時代になると神仏分離政策により浄泉寺から分かれ、明神様と呼ばれていたそうです。その後、昭和と平成に数度の改装を行い、現在の形になったとのこと。
では実際に見ていきます。
看板です。柵の下が湯殿川(ゆどのがわ)という川です。周囲が川に囲まれているので、すぐには入れず、入り口にたどり着くまで結構時間がかかりました。
鳥居です。小さ目ながらも結構綺麗でした。
御神木です。2002年に社務所にあたる場所に生えていたものを伐採し、根を記念として祀っています。樹齢は200年ほど。何の木かは分かりませんでした。
改装時の記念碑
手を洗う、手水舎(てみいずや)です。
力石です。昔の人はこの石を持ちあげて、力を競ったそうです。右の小さい石が70kg 真ん中が130kg 左の大きな石が210kgだそうです。
拝殿です。派手さはないものの綺麗でした。
拝殿の左隣が神輿殿です。「祭り」と書かれた大きな団扇など、祭りに使うための道具を置いていました。ちなみに右となりに社務所がありました。
●まとめ 感想
周囲が川なので、たどり着くのが面倒ですが、御神木や力石などの面白い見どころがあり、看板の神社の由来解説も詳しく書かれていたので、見学しやすかったです。浄泉寺城見学の際はこちらにも訪れてみてはいかがでしょうか。
私のPIXTAページです。よろしければご覧ください。写真は購入もできます
興味があれば
次回は、出羽山砦を紹介します。
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