2019年12月の写真です。



 東京八王子市にある、由木城跡(ゆぎじょうあと)へ行くことにしました。城跡は永林寺(えいりんじ)というお寺の境内にあるそうなので、まずは永林寺を目指すことに。

場所はココ 東京都八王子市下柚木4




●永林寺について
 元々、この寺があった周辺の地域は、武蔵七党に属していたとされる由木氏(ゆぎし)の土地であり、寺のあった場所には由木氏の館、もしくは城が建っていたのではないかと言われています。その後、この地は長井氏が支配していましたが、戦国時代になると大石氏が支配する土地になり、この場所に居館を構えていたようです。

 
 1521年、大石定重(おおいしさだしげ)が八王子に滝山城を築城、1527年に息子の大石定久(おおいしさだひさ)が大石家の家督を継ぎ、滝山城城主となり滝山城へ居を移すことになりました。その際、叔父にあたる一種長純大和尚(いっしゅちょうじゅんだいおしょう)という人に、この地を譲りました。そして一種長純は1532年3月、この地に曹洞宗金峰山道俊院永鱗寺(そうとうしゅうきんぼうざんどうしゅんいんえいりんじ)を創建しました。


 その後、八王子城城主の北条氏照(ほうじょううじてる)の助成を受け、1546年には七堂伽藍を完備した大寺院になりました。また、1588年には後陽成天皇(ごようぜいてんのう)より、鎮護国家や国家安泰のための寺院である、勅願寺の綸旨を受けました。1590年9月にはこの地に訪れた徳川家康から正式に認められ、周辺の土地と、10カ所の末寺を与えられ、さらに、権威と格式を示す赤門と、五条線の入った壁の建設が許されました。

 
 家康はこの寺に訪れた際に、寺の景観を気に入り、「名におえる永き林なり」と褒め称えました。このことから寺は名を、永鱗寺から永林寺へと改名、また、1753年には武相卯歳観音霊場四十八ヶ所の41番札所になり現在に至ります。


 では、実際に見ていきます。

 これが赤門です。1546年に建立され、1595年に火事により焼失。1758年に再建、1828年に大改修が行われ、さらに1996年にも大改修が行われ、現在は国の指定文化財になり由木の赤門と呼ばれています。
永林寺 総門 ブログ用


 これが外壁です。瓦には徳川家の家紋である、葵の御紋があり、壁には5本の線が入っています。この線は定規筋と呼ばれ、この線の数が寺の格式を示し、5本の線を持つ寺は最高の格式になります。
永林寺 外壁 ブログ用


 
 赤門から先に進むと、また門がでてきます。この門は三門(さんもん)と言い、三門とは一切を空と観ずる、空門(くうもん)、迷いの煩悩を離れ悟りを得る、無相門(むそうもん)、真実を悟り願求するところがない、無願門(むがんもん)の3つのことをあらわし、これら3つを得て本堂へ向かうための門なんだそうです。

 赤門と同じく1546年に建立され、1595年に火事により焼失。1669年に再建され、1775年に解体され大改修、1965年にまた大改修され現在に至ります。
永林寺 三門ブログ用


 これが本殿です。本殿敷地内の中央(この写真の右側に写っている)には、この寺の由来について書かれているであろう、木の柱のようなものが立っていました。本堂の奥は墓地になっており、目的地の由木城跡もそこにあります。
永林寺 ブログ用


●まとめ 感想
 境内はしっかりと手入れがされていて、とても綺麗でした。また、このお寺には赤門と三門、本堂の他にも、鐘楼や三重塔などがあり、由木城跡のおまけかと思いきや、かなりの見ごたえがありました。さすがは、最高の格式を持つお寺です


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興味があれば

次回は、由木城跡を紹介します。