2019年12月の写真です。


場所はココ 東京都あきる野市網代 網代弁天山から入ることができます。


●貴志嶋神社(きしじまじんじゃ)について
 この神社の建立時期や、誰が建てたかについてはよく分かっておらず、足利尊氏か地元土着の貴志氏(きしし)が建てたと言われていますが、貴志氏が建てたという説が有力とのことです。

 芸能や水、学業を司る市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)という神を祀っており、また、七福神の一柱である、弁財天と同一の存在とされていることから、貴志嶋弁天や網代の弁天様などと呼ばれていたそうです。美容と健康、商売繁盛、水難守護、航海安全などにご利益があるとのこと。


 1590年の豊臣秀吉による八王子城攻めの際に、この神社の鐘が鳴らされたそうです。1591年には徳川家康によって、正式な神社として認められました。江戸時代になると、この地にあった引谷山妙臺寺(ひきたにざんみょうだいじ)というお寺が管理を務めていました。明治時代に入った1870年になると神仏分離政策により、仏教的な要素が排除され、現在の貴志嶋神社の姿になりました。

 神社の規模は桁行と梁行が約5.4m、屋根は茅葺き、二軒扇垂木小棟寄棟造り(ふたのきおおぎたるきこむねよせむねづくり)という伝統的な造りで、内部は和風と禅宗風を合わせた雰囲気で、本殿には宮殿風の厨子が安置された造りだったそうです。

 現在神社のある弁天山は、網代弁天山公園としてハイキングコースとして整備され、神社は網代地域の振興と発展のため、網代自治会指定文化財にしていされ、大切に管理されています。



正面から見た本殿です。
貴志嶋神社 ブログ用


本殿の隣には神楽殿があります。本殿も社殿も建て替えられているのか、茅の屋根ではないです。
貴志嶋神社 神楽殿 ブログ用



 本殿の脇にある道を進むと、弁天洞穴と呼ばれる洞窟があります。

●弁天洞穴について
 この洞穴内の広さは約20畳ほどで、内部の左奥には毘沙門天の石像と大黒天の石像が置いてあります。この洞穴は元々、貴志嶋神社の奥の院に当たり、恐らく主尊として弁財天の像も安置されていたのではないかと考えられています。


 これが入り口です。奥に石像と石塔が薄っすらと見えています。この写真を撮影したときは、洞穴内に入ることができると知らずに、この写真だけ撮って帰っちゃいました。改めて調べてみると、中に入ることができるそうなので、後日もう一度足を運び、内部も撮影してきました。
弁天洞穴 ブログ用

内部から入り口を見上げた様子。
弁天洞穴5 ブログ用


内部の地面はこんな感じで、意外にも平になっています。
弁天洞穴 ブログ用2


右側はこんな感じで行き止まり。
弁天洞穴 ブログ用4


 左側にスペースがあり、右側には毘沙門天像と石塔が、左側に大黒天像が置かれています。

 毘沙門天像はいつの時代のもので、誰が造ったのかは不明ですが、大黒天像の方は背面に「文明九年(1477年)丁酉閏正月六日(ひのととりうるうしょうがつむいか)」と刻まれ、室町時代に造られたということがわかります。そのためこの大黒天像は、貴志嶋神社 石造大黒天像と呼ばれ、あきる野市の指定文化財になっています。
弁天洞穴 ブログ用3


●まとめ 感想
 神社は自治会の指定文化財になっているだけあってとても綺麗で、大切に管理されているのがわかりました。ですが、石像の方は市の文化財なのに、特に何か保存のようなことがされているわけでもなく、ただ地面に置かれているだけになっています。写真にも小さく写っていますが、像の周りにはお供え物なのか、飲み物の缶やペットボトルが置かれてはいるものの、置かれた場所によってはゴミが落ちているようにも見えてしまうので、もう少ししっかりと管理してもよいのではないかと、思いました。


私のPIXTAページです。よろしければご覧ください。写真は購入もできます
写真素材 PIXTA

興味があれば


次回は、キクラゲを紹介します。