2019年9月の写真です。

東京都八王子市の小田野城跡に行ってきました。

場所はここ 東京都八王子市西寺方町 
グリーンタウン奥の観栖寺台公園(八王子市西寺方136-9)の隣



●小田野城についてザックリと
 八王子の陣場街道を見下ろす丘に築城された小田野城(おだのじょう)は、江戸時代後半に著された『武蔵名勝図会(むさしめいしょうずえ)』という地誌において記述があります。しかし、当時は城跡としてではなく、この場所のすぐ近くにある、八王子城城主の北条氏照の家臣、小田野源太左衛門(おだのげんたざえもん)という人物の屋敷跡と紹介されているのみでした。

 しかし、1979年から翌年にかけて、都道建設のために発掘調査を行ったところ、16世紀のものと思われる、城の防御施設である腰曲輪(こしぐるわ)や、空堀、城の入り口である枡形(ますがた)の遺構が発見され、この場所が屋敷跡ではなく、城跡ではないかと考えられるようになりました。

 この城についての史料が『武蔵名勝図会』しかなく、また、遺構自体も削れてしまっている個所があるため、どのような歴史があったのかについてや、城の全容については未だ不明な点が多くあるのですが、築城時期が八王子城とほぼ同じなのと、場所も八王子城のすぐ北側にあることから、城主が小田野源太左衛門で、八王子城の北側を守るための支城としての役割があったのではないかと推測されています。

 その後、この城は1590年豊臣秀吉による小田原征伐の際、八王子城が攻撃される直前に上杉景勝の攻撃を受けて落城したとも、戦わずに降伏したとも言われています。城主の小田野源太左衛門はこの戦いを生き残り、その後、徳川家康の四男である、松平忠吉(まつだいらただよし)に仕えた後、小田源左衛門(おだげんざえもん)と改名し、水戸徳川家の水戸頼房(みとよりふさ)に仕えました。その後一族は代々、水戸藩に仕えたようです。


 この城跡が発見されたため、都道建設工事は計画を見直し、当初は城の腰曲輪部分を切通す予定だったのですが、腰曲輪部分を残すためにトンネル構造に変更されました。そして、1983年には各遺構の保存状態の良好さから国の史跡に指定されました。



では実際に見てみます。

観栖寺台公園(かんすじだいこうえん)です。この隣が小田野城跡になります。
観栖寺台公園 ブログ用


イノシシ🐗がよく出没するのか、このような看板が至る所に設置されていました。
小田野城跡 イノシシ看板 ブログ用


公園内にある扉から城跡へ行くことができます。扉にもイノシシ注意の張り紙が。
小田野城跡 入り口 ブログ用


恐らく城の入り口である、枡形状の遺構だと思われます。左側は深い堀になっています。道自体はしっかりしていて、急な坂道などが無く歩きやすかったです。
小田野城 枡形状遺構跡 ブログ用


堀です。かなり深いです。
小田野城 堀跡

小田野城 堀跡2

小田野城 堀跡3 ブログ用


スタートから約10分ほどでゴールの腰曲輪に到着です。長方形のような形をしています。この真下にトンネルがあります。
小田野城跡 腰曲輪跡2 ブログ用

●まとめ 感想
 こ閑静な住宅街の奥地にあるため、場所を見つけるのに少し苦労しました。城跡の道は歩きやすかったのですが、蚊がたくさんいたため、手を何カ所か刺されてしまいました。春や夏に見学する際は虫よけの準備をして入ったほうがいいかもしれません。

 堀、腰曲輪ともにかなりの広さだったので、城全体の規模もかなり大きなものだったのではないかと思いました。削れてしまった部分があるのが残念です。しかし、削れてしまった個所があるものの、残ってる遺構はしっかりと保存されているので、とても見学しやすかったです。


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次回は、横山党と八幡八雲神社を紹介します。