2019年8月の写真です。


場所はココ 東京都あきる野市三内190




●阿伎留城についてザックリと
 東京都あきる野市の、標高300m、比高100mの天竺山(てんじくやま)にあったとされる阿伎留城(あきるじょう)は、鎌倉時代に築かれたとされていますが、史料が見つかっていないため、詳細はわかっていません。築城主や城主に関しても同様で、詳細がよく分かっておらず、武蔵国(むさしのくに 今の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)を中心に大きな勢力を持っていた、武蔵七党(むさししちとう)と呼ばれる中小武士団の一つである、西党(にしとう)に属していた小宮氏が築いたとも、この土地の豪族であった三内(さんない)氏が築いたとも言われています。現在、城があったとされている場所には、三内神社という神社が立っています。


●三内神社についてザックリと
 三内神社は平安時代最初期、天武天皇の治世であった、805年に創建されたと言われています。日本神話において国造りを行った大国主命(おおくにぬしのみこと)や、医薬や禁厭(まじない)を用いて大国主命の国造りと天下の運営に協力した少名毘古那神(すくなびこな)など、合わせて10柱の神様を祀っています。

 かつてこの地は、秋留郷三宮村(あきるのごうさんのみやむら)という地名であったことから、三宮大明神や秋留大明神とも呼ばれていたそうです。しかし、村の名前が三内に改めらたことにより三内神社となりました。

 当初の社殿は天竺山麓の畑の中にあったそうですが、江戸時代になるとそれらを山の山頂に移しました。また、神職は代々、三内氏が務めていたそうです。


では、実際に歩いてみます。

登山道の入り口には、三内神社の鳥居が立っていました。
ブログ用 阿伎留城跡


登り始めてすぐに看板が出現。本丸のある天竺山の頂上を目指します。
ブログ用 秋留城跡2


道はこんな感じ。階段になっていて登りやすかったです。しかし、舗装されているのははじめの方までで、途中からは普通の山道になります。
ブログ用 秋留城跡3


登り始めて約5分ほどで、神社の拝殿に到着しました。この場所には城の防御施設である曲輪(くるわ)があったのではないかと言われています。ちなみに、左右の狛犬は1866年に奉納されたとのこと。
ブログ用 秋留城跡4


その後、約15分ほどで、頂上近くに到着。この階段を登ると山頂につきます。
ブログ用 秋留城跡5


山頂です。この場所に本丸があったのではないかと言われています。左にある建物は三内神社の本社です。
ブログ用 秋留城跡6

本社の裏側はこんな感じになっていて、特に何もありません。だだ、平になっているので、この場所に本丸があったと言われれば、なんとなくそんな気がしてきます。
ブログ用 秋留城跡7


山頂からの景色です。この場所からは八王子城や戸吹城などの城が見えるとのことですが、よく分からなかったです。
ブログ用 天竺山からの景色


●まとめ 感想
 城に関する案内板などは一切無く、空堀や土塁の跡も見られない、ごく普通の山といった感じで、城跡かどうかはよく分かりませんでした。ただ、頂上からは周囲の山や町などが良く見えるので、周囲の警戒のための拠点としては良い場所だったのではないかと思います。今後の研究で、詳細が明かされる日は来るのでしょうか。


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