絹の道 大塚山公園内にある、道了堂跡を紹介します。

場所はココ 東京都八王子市鑓水405-1 大塚山公園内にあります。

道了堂跡 ブログ

●道了堂跡についてザックリと
  この道了堂は1874年、鑓水商人であった大塚忢郎吉らが中心となって、この道を通る人や近隣の村々の安全のために、浅草花川戸から道了尊を勧請して創建されたそうです。正式名称は永泉寺別院大塚山大学寺というそうです。
 ちなみに道了尊とは室町時代前期の妙覚道了(みょうかくどうりょう)という僧のことで、神奈川にある最乗寺(さいじょうじ)という寺の創建に関わり、創建後は寺門守護と衆生救済を誓い天狗になったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られるようになったとされる人物です。

 このお堂は明治時代は加持祈祷などでたくさんの信者が訪れ、近くには茶店なんかもあったほどの賑わいがあったそうです。絹の道が衰退した後は、訪れる人の数は減ってしまったそうですが、戦時中は出征した兵士やその家族が武運や安全を祈りに来ていたそうです。そして戦後になると、また訪れる人が減り、ついには取り壊されてしまい、現在のような跡地を残すのみになってしまいました。ですが、心霊スポットとして有名になり、オカルトマニアたちがたびたび訪れるようになったそうです。


●心霊スポットと呼ばれるようになった2つの事件
 この場所が心霊スポットと呼ばれるようになった理由に、ある2つの事件が起こったことが挙げられます。

 まず1つは1963年に起こった、道了堂殺人事件と呼ばれる事件です。この事件は、1909年からこのお堂の堂守としてお堂に住んでいた老婆が、強盗の手により刃物でメッタ刺しにされ殺害。遺体は境内に放置されるという事件です。この事件後、お堂に訪れる人はいなくなってしまい、お堂は荒れ放題に、さらには放火と思われる不審火なども起こったりしたそうです。そして、この場所では亡くなった老婆のすすり泣く声や、宙を浮いている老婆の霊が出る、なんて噂が立つようになったそうです。

 
 2つ目は、女子大生が殺害され遺棄された事件です。この事件は道了堂殺人事件の10年後の1973年に起こった事件で、とある女子大生が行方不明になり、捜索活動が行われたのですが、なかなか女子大生は見つからず、そのころ、女子大生の通う大学の助教授が一家心中するという事件も起こりました。当初はただの一家心中だと思われていたのですが、女子大生と不倫関係にあった助教授が痴情のもつれにより女子大生を殺害し、遺棄したことがわかりました。犯人が自殺してしまったことにより、遺体の捜索は難航しました。
 丁度そのころに、「道了堂でその女子大生を見た」、「女性の幽霊を見た」などの話があり、その付近を捜索してみたところ、女子大生のミイラ化した遺体が発見されたそうです。この事件後、老婆の幽霊の他に、女子大生の幽霊も出るという話が広まったそうです。

 その後1985年、絹の道の整備により、お堂は取り壊され、今の土台を残すのみの姿となりました。

 また、道了堂には怪談話で有名な稲川淳二氏の、『首なし地蔵』という話のモデルになった首のない地蔵が置いてあったり、製糸場で働いていた工女の幽霊が出るなど、様々噂が流れ、人気(?)心霊スポットになっています。


●まとめ 感想
 心霊スポットでよく言われる、怖い感じや、嫌な気配などは感じませんでしたし、静かで落ち着ける場所でした。ただ、街灯といった明かりの類が無いため、夜に行くと雰囲気があって怖いかもしれませんですが、夜に行く際は、公園に行く道が山道であるため、安全のために必ず懐中電灯を持っていきましょう。幽霊に遭遇するよりも転んでケガする可能性の方が高いと思われます。

道了堂跡 ブログ2

 ちなみに首なし地蔵ですが、見つけられませんでした。首なし地蔵があるという話は撮影した当時、知らなかったため、道了堂跡ばかりに気を取られ、周囲をあまり見ていませんでした。そう言われれば、いくつかお地蔵さんがあったような気がします。でも首はちゃんとあったはずです。修復したのでしょうか?


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次回は、船田石器時代遺跡と船田古墳を紹介します。