高月城跡を紹介します。

場所はココ 東京都八王子市高月町1250


●高月城と大石氏についてザックリと
 この城は室町時代の1457~1459年、関東管領山内上杉氏の家臣で、武蔵国守護代を務めていた、大石顕重(おおいしあきしげ)という人物が築いたと言われています。その後は大石氏の拠点になっていましたが、1476年、同じく山内上杉氏の家臣であった長尾景春(ながおかげはる)が、山内上杉氏を裏切り、関東を統治してい鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利政氏(あしかがまさうじ)に組し反乱を起こしました(長尾景春の乱)。 大石氏をはじめ、周辺の武士たちも景春側につきました。大石氏は景春とこの高月城にいたのですが、扇谷上杉氏の扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)や太田道灌(おおたどうかん)らの勢いを止めることができず、景春は高月城から逃亡、大石氏は降伏。その後、戦国時代に入った1521年、大石定重の代になると手狭になったのか、この城のすぐ近くに滝山城を築城し、そちらに移ったとのことです。

 1524年から1546年まで続いた、武蔵国の支配を目論む北条氏綱(ほうじょううじつな)と、武蔵国を支配していた山内上杉氏の上杉憲政(うえすぎのりまさ)、扇谷上杉氏の上杉朝定(うえすぎともさだ)、鎌倉公方の足利晴氏(あしかがはるうじ)の3氏の連合軍が争った、河越城の戦いに北条氏が勝利すると、大石氏は北条氏の家臣になり、高月城と滝山城も、北条氏の配下になりました。その後、1590年に豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡すると、高月城も廃城になりました。

 しかし、高月城と大石氏を結びつける確かな史料が確認されてはおらず、これらの話は信憑性に欠けているため、この城に関しての詳細は未だはっきりとはしていないとのことです。
 
 
 この城の構造ですが、丘陵地に築かれ、近くにある秋川と多摩川の合流点、自然の谷や崖などを利用した天然の要害となっていて、周囲には小郭をいくつか造り防衛拠点にしたとみられ、標高約150mの高地を本郭にし、本郭は方70mほどの広さがあり、平坦になっています。滝山城からは1.5キロほどしか離れておらず、また、尾根続きであったため、滝山城の出城もしくは、滝山城の一部として使われていたのではないかといわれています。現在は道路を整備したり、畑を造ったりで、いろいろ削られてしまったそうですが、掘り、土塁、曲輪の一部は残っているそうです。


入り口の看板です。廃墟のホテルはこのすぐ横にあります。後で知ったのですが、ホテルのある場所にはかつて石塁があり、城の一部だったそうです。
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こんな感じの道です。
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曲輪(?)からの景色です。道路や畑、住宅が見えます。
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頂上の本郭です。この写真の左側に畑があります。
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案内の看板を発見。滝山城、高月城、根小屋城の3つを滝山三城と呼ぶそうです。根小屋城にはまだ行っていないので、機会があれば行きたいですね。
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●まとめ 感想
 どうやらこの城跡は私有地になっているらしく、山の至る所に立ち入り禁止のロープやらブルーシートがかけてあったり、木材などが置いてありました。掘りなどはなんとなくわかるのですが、曲輪や土塁などはよくわかりませんでした。言ってしまうと単なる小高い山といった感じで、城跡という印象は受けませんでした。ただ、ほとんど人が来なさそうな場所なので、一人でのんびり山歩きや散歩をしたい方にはおススメです。


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次回は、大きなミミズを紹介します。