三田氏館跡を紹介します。

場所はココ 東京都国立市谷保6017


 三田氏館跡(みたしやかたあと)は多摩川に張り出した青柳段丘の台地上緑辺にあります。別名、谷保の城山(やほのしろやま)、もしくは三田城とも呼ばれ、中世のころの平城跡であるとの伝承がありますが、造られた年代はよくわかっていません。城主に関しても、恐らくは三田氏に関連した場所であると考えられていますが、その一方、鎌倉幕府の御家人であった、津戸氏(つとし)が住んでいたとの史料もあり、誰が住んでいたのかも不明です。現在は土塁、掘り、曲輪の跡が残っているのですが、発掘調査などは行われていません。ちなみに城山公園という公園になっていて、一部私有地を除いて自由に見学できるようになっています。また、谷保の城山歴史環境保全地域にも指定され、自然環境と遺構の保全も行われているそうです。

この城の持ち主についての説をザックリと紹介します。
①三田氏説
 鎌倉時代の三田貞盛(みたさだもり)なる人物が城主となり、代々三田氏が住むようになったという説です。三田氏については、以前に青梅市の勝沼城の紹介記事で書きましたが、青梅の三田氏は後北条氏によって滅ぼされてしまいました。しかし、三田氏の家系は青梅のものだけではなく、いくつかの流れがあり、この館跡に住んでいた三田氏は、青梅の家系から分かれてこの地に住むようになったのではないか、もしくは勝沼城を築城した三田氏が青梅に移る前にこの場所に移った、同じ先祖を持つ別の三田氏ではないかという可能性もあります。しかし、決定的な史料がないので、あくまでも推測の域を出ません。ちなみにこの遺構の近所には三田さんという方のお宅があります。何か関係があるのでしょうか?

②津戸氏説
 津戸氏は、菅原道武(すがわらのみちたけ)という人物が祖であると言われています。道武は、平安時代前期の学者で、現在は学問の神様でお馴染みの菅原道真(すがわらのみちざね)の三男です。901年、父の道真が大宰府(現在の福岡県)に左遷されました。それに伴い息子たちも日本各地へ左遷されてしまいました。道武は武蔵国多摩郡分倍庄栗原(むさしのくにたまぐんぶないのしょうくりはら 今の東京都国立市谷保)の地に左遷されました。丁度この遺構のある地域です。道真の死後、彼は父を祀るために谷保天満宮という神社を建てました。ちなみにここが、東日本最古の天満宮といわれています。
 そこから少し時が経ち、平安時代末期に入ると、津戸三郎為守(つとさぶろうためもり)という人物が、この地に住んでいたようです。彼は18才のころに平家打倒を掲げた、源頼朝の挙兵に加わり、平家方との初戦である石橋山の合戦に参加していたようです。鎌倉幕府成立後は御家人として頼朝に仕えていました。頼朝の死後、今度は、頼朝の次男で三代将軍の実朝(さねとも)に仕えていました。しかし、実朝が暗殺されてしまうと、世の無常を悟り、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)に弟子入りしました。為守の死後も、津戸氏はこの地に住み続け、谷保天満宮の神職を務めていたそうです。後にわかったことですが、津戸氏は菅原道武の子孫を称していたそうです。 

 三田氏が住んでいたとされる遺構の近くに、三田さんという方の家があるのは偶然とは思えません。しかし、三田氏が住んでいたということ以外は、手掛かりになりそうな史料は見つかっていません。三田氏が住んでいたというのも、江戸時代の記録にあるのみなんだそうです。
 一方、津戸氏説の話は、三田氏説に比べて具体的で、筋も通っているように思えます。私は津戸氏の方が説得力があるのではないかと思います。しかし、はっきりとした史料が見つかっていないため、結局、推察止まりになってしまいます。今後、この遺構の調査は行われないのでしょうか。調査結果次第では何か進展しそうな気もします。

城山公園の入り口です。雑木林の中に道が造られてます。
※これらの写真は2019年4月に撮ったものです。
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案内図です。公園内は結構な広さがあります。
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溝っぽくなっていると思いますが、これが恐らく堀だと思われます。
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池もあり、ベンチが置かれてちょっとした休憩スペースになっています。池の水は、近くの川から流れ込んでいるようです。
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井戸の跡です。ちなみに私有地内にあったため、遠くから撮らせてもらっています。
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 公園内には、柳澤家住宅という古民家もあります。興味のある方は、ついでに見学していってはいかがでしょうか。(訪れた際、何やらイベントの準備?をしていたので、邪魔になると思い撮影はしませんでした。)あと、公園内の一部は私有地だったり、保護区だったりで、入っては行けない区画もあるので、訪れた際はしっかりと確認して、近隣の住民の方々にご迷惑をかけないようにしましょう。
 どこが土塁や掘りなのかはよくわからなかったですが、自然豊かで落ち着いていてなかなかに良いところでした。ただ、池があるためか、蚊がたくさん発生していました


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