小山田1号遺跡を紹介します。

場所はココ 東京都町田市小山田桜台2丁目16-16-32 小山田桜台こぶし公園内にあります。

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  石碑

 この小山田1号遺跡(おやまだいちごういせき)は、小山田桜台団地を造るのに伴い1970年~1972年、1978年~1982年に調査された遺跡群の一部で、平安時代末期から室町時代にかけてこの地の有力武士であった、小山田氏(おやまだし)の居館跡であると考えられています。現在は都の指定史跡になっています。
 小山田氏は武蔵国の秩父氏という、平氏の流れをくむ豪族で、平安時代末期に秩父有重(ちちぶありしげ)という人物が、この小山田の地に移ったことが始まりで、以後この一族は小山田氏と名乗るようになりました。その後、有重は小山田城を築き、遺跡のあるあたりに住んでいました。小山田氏はこの地を開墾し、馬を育てるための馬牧を造りました。そのため、この土地の周辺には、牧畠や窄場というような牧場を連想させる小字がみられたそうです。
 ちなみに、育てられていた馬というのは移動や戦争に使われる軍馬で、取り分け、昔の関東地方は良い軍馬の産地として有名でした。「源氏が源平合戦に勝利したのは、良い軍馬がたくさんいたことも要因の一つである。」という学者もいるほどです。また、北関東にある群馬県の群馬の名前の由来が、たくさんの馬がいたからとか、良い軍馬ばたくさんいたからなどともいわれているほど、関東地方は馬と深い関わりがありました。

 この遺跡の規模について解説の看板によると、「12世紀後半に地下式横穴が構築された後、斜面を3mほど垂直に削って東西約60m、南北約15m、面積約800㎡の平坦部がつくられ、15世紀中ごろに至るまで、掘立柱建物、大形竪穴状遺構、区画用の柵などが構築されました。」とあります。規模がけっこう大きいですね。住み心地はどんな感じだったんでしょうか?昔の関東地方は、都のあった京都やその周辺の畿内地方に比べて、「山ばかりの田舎」と言われていたそうです。それを聞くとなんとなく、自然豊かで長閑でのんびりとして、住みやすいところだとイメージしたのですが、実際は新しく開墾しなければ住めない場所が多くかったとのこと。当然昔は、現代のような重機なんかがあるわけではないので、開墾に手間も時間もかかったことでしょう。そのため、土地の境界や相続でのいざこざ、土地の奪い合いなどの争いが頻発し、殺伐としていたらしいです。ここに住んでいた人々も常にピリピリして過ごしていたのでしょうか。そう考えると、どんなに良い土地に良い家を建てたとしても、常に外敵の脅威があるのでは、住み心地は最悪でしょうね

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遺構はガラス繊維と樹脂セメント皮膜で覆っているそうです。見た目にもわかりやすく、実際に遺構内に入ることができるので、見学もしやすかったです。この遺跡群からは、遺構の他に銭貨や茶わんなども出土したそうです。

ちなみに、遺構のある公園内の様子はこんな感じです。
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 公園内はかなり広く、遊具の類はありません。全体的になだらかな傾斜になっていて、一面が原っぱになっています。小高い丘の上にはこの公園の由来に立ったと思われる、コブシの木が植えてあります。のんびりしたり、ダラダラしたり、ボーっとしたりするのに最適な場所(?)だと思いました。

興味があれば
     

     

次回は、久々に写真が売れた話です。